UndertaleのGルートをプレイしたくない僕とDQ10でモンスターを無限に狩る僕 ~ゲームデザインで戦闘の意味はここまで変わる~
どうも、RPG大好きているです。
最近ちょっと色々忙しくてブログの更新が滞っていましたが、また色々書いていこうと思います。
といってもまあこのブログは僕がしたい話を書きたいときに書くものですので。そんなに定期的に書けるもんでもないような気もしますね。
さて、今回はゲームの話です。
前提知識
今回の記事は少なくとも「Undertale」についての知識がないとわからないと思うので、
ちょっとばかし説明をします。
Undertaleをプレイしたことがあり、3種類のEDを観た人はここは読み飛ばしてもらって構いません。
Undertaleのおおまかなあらすじとしては、モンスターだけが暮らす「地下世界」に落ちてきてしまったニンゲンが、
地上に帰るための方法を探しながら地下世界を旅する、というものです。
で、システム上の重要なポイントとして、Undertaleの戦闘においては、「物理攻撃をして倒す」以外にも「モンスターと対話して見逃す」という勝利の方法があります。
これがUndertaleが「誰も死ななくていいRPG」と呼ばれている所以ですね。
そして、「一度もモンスターを殺さなかった場合」と「ひたすらモンスターを殺し続けた場合」でシナリオの展開やエンディングが大きく変わります。
前者はTrue Pacifistルート(TPルート、Pルート)、後者はGenocideルート(Gルート)と呼ばれています。
まあ、それぞれがどんな展開になるのかは、なんとなく想像つくのではないかと思います。
Undertaleをプレイしてみて
さて僕のプレイの話になるんですが、Normalルートを見た後、まずはTPルートをプレイしたんですね。
まあ想像通りというか、大変心温まる感動のストーリーとなり、主人公はモンスターたちと結んだ絆の力でラスボスと対峙することとなります。(ネタバレを避けるためめっちゃ雑把な説明ですが)
余談なんですが、TPルートでは女性モンスター同士のカップルが誕生します。
いいですか、女性同士のカップルが誕生するんです。大事なことなので2回言いました。
人外要素が強めなので、苦手な方もいるかもしれませんが、僕はアンダイン×アルフィーに大変萌えさせていただきました。Undertaleに百合を期待してたわけではなかったので、ホントに思わぬ収穫だった。
※リンク先若干ネタバレが含まれるので注意
TPルート終わった後これとか観ると幸せになれるかも。
とまあ余談はこれくらいにして、TPルートが終わった後、「さてそういえばエンディングはもう一つ残っているんだけど」となるわけです。ゲーマーの性です。
ですが前述の通り、最後に残ったルートはモンスターを虐殺しまくるというもの。
殺さなければならないモンスターの中には、当然アンダインもいますし、憎めないキャラで人気のパピルスなど、TPルートでは主人公と和解して友達になったキャラクターばかりです。
ここで、僕は今までにないくらい悩みました。
正直、感情移入しすぎて、モンスターたちを殺すということにものすごい抵抗が生まれてしまったのです。
僕の大好きな「サモンナイト」シリーズにはおおよその作品にカルマルートというバッドなルートが存在しているんですが、サモンナイトでさえ、ここまで悩むことはありませんでした。
だってあっちは主人公が「主人公らしからぬ選択を続ける」とか「仲間を魔法の巻き込みで戦闘不能にしてしまう」というのが分岐条件で、
巻き込みで戦闘不能になった仲間だってバトル終了後にはピンピンしているんです。
ただ単に「こういう選択をした場合、彼らに待っている結末とはこう」という並行世界を見ている感じだったんですよね。
でも、Undertaleでは、TPルートでそれぞれの雑魚モンスターにさえ家族がいて、主人公と友達になってくれて……というのを見た上で、
彼らを本当の意味で「殺さなければ」ならない。
殺したモンスターは塵と化し、二度と生き返ることはありません。
想像しただけでかなり心が痛みました。
極めつけは、TPルートをクリアした後ゲームを再び起動すると出てくるあるキャラクターの、
「みんな幸せになった。でも、この世界を壊すことができる唯一の存在がいる」
「それはあなただ」 ※セーブデータを初期化してしまうことができるプレイヤーのことを指しています
「お願いだ。彼らをそっとしておいてあげて」
という言葉……こういうメタな演出というのがUndertaleの面白さの一つでもあるんですが、さすがに一旦ゲームを閉じるしかありませんでした。
ではGルートはプレイしなかったのか?
結論から言うと、Gルートもプレイしました。ゲーマーの性には勝てませんでした。
散々悩んで、同じくUndertaleをプレイした友人にこの話をしたところ、
「でもお前DQ10では無慈悲にモンスター狩りまくってんじゃねーか」
と言われたのです。
そのとおりでした。大抵のゲームでは「モンスターを倒しまくってレベル上げをする」「レアドロップ品目当てで特定のモンスターを狩りまくる」といったプレイが一つのプレイスタイルとして存在します。
レベルを1つ上げるために膨大な経験値が必要で、経験値効率のいいモンスターを短時間でできるだけ狩ったり、おなじみメタルスライムがたくさん出現する迷宮にこもったりしました(DQ9の「まさゆきの地図」にこもった覚えがある人もいるでしょう)。
そして、他のプレイヤーが作った強くて良い追加効果がついた装備を買うためには途方もないお金が必要で、それを稼ぐために日々「討伐隊の依頼」でモンスターを狩り、高く売れるレアドロップ品を狙ってやっぱりモンスターを狩ったりします。
そういった自分の行いを思い出し、「そうか……そうか……?」と若干納得できないながらもゲーマー根性に突き動かされるままに平和な世界を初期化し、大量虐殺の道に進むこととなります。
やり始めてから、数々の演出に感心しつつも、やっぱり心の痛みと、どうしてこんなことをしてしまったのかという後悔に苛まれることになりましたが……
なぜこんな違いが生まれるのか?
DQ世界でだって、モンスターと心を通わせる「魔物使い」という職業が存在しますし、モンスター側のバックボーンが描かれることだってあります。モンスター図鑑見ると豆知識として普段の様子が描かれていたりします。
でもそれは、戦闘中や、街の中にいる人々との会話の中では一切プレイヤーの目に映ることはありません。
対してUndertaleでは、冒険する世界がそもそも「モンスターたちの世界」であり、ニンゲンたる主人公こそが異分子なのです。
当然、街の住人はみんなモンスターですし、しかも雑魚を含めたすべてのモンスターが戦闘中に喋ります。
戦闘中の台詞では主人公に対して友好的な雰囲気で話しかけてくるモンスターも多いです。
つまるところ、僕たちはRPGをプレイする中で、「魔物/敵対勢力 は 人間/主人公陣営 に対して害をなすもの」「対話することは叶わない」「だから殺さなければならない」
という大義名分とか前提に感覚を麻痺させられてきたのだと思います。
さらに狡猾なことに、それらの感覚を取り戻さないよう、感情を揺さぶる部分は「隠されている」のです。
だからUndertaleの世界観設定はとても新鮮だったし、「モンスターを殺す/殺さない」というアクションに大きな重みがついたのです。
まあ、言ってることは至極当然のことですね……
思ったこと
これまで、自分ではロールプレイングゲームといっても、そこまで「役割を演じている」という感覚はないよなあなんて思いながらプレイしていたつもりだったのですが、
実はばっちり世界観にハマっていた、いやハメられていたんだなあ、と痛感しました。
前にプレイして感想記事を書いた王道勇者とサブカル勇者でも似たようなことを感じましたし。
あ、念の為ですが、「ゲーム脳は暴力性を助長する!」みたいな論調に迎合する気は毛頭ないです。モンスター殺すのに感覚を麻痺させられてるって話と現実世界と仮想世界の区別がつかないって話はまったく別問題なので。
長々と書いてきたわりになんかうまくまとまらない感じになってしまいましたが、この記事が何かしら創作の種になったりものの見方を変えるきっかけになったりしたら面白いなあ、とか思います。
ところでGルートはクリアしたんですか?
S●nsが強すぎて倒せません!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
おわり